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日本最古のため池〈国史跡〉
大阪狭山市のほぼ中央に位置する日本最古のダム形式の溜池「狭山池」があります。 平成27 年3 月10 日にこの狭山池が国の史跡に指定されました。
古くは『古事記』『日本書紀』にその築造に関する記事が掲載されています。推古天皇と聖徳太子が活躍した飛鳥時代にあたる西暦616年ごろ、大阪狭山市と隣接する河内長野市の天野山を水源とする西除川(旧天野川)と狭山ニュータウン付近の丘陵地を水源とする三津屋川が流れ込む場所に堤を造り、川をせき止めて狭山池を築造しました。
貯水量は280万m3、水面面積は36haで市域11,86km2の約3%にあたります。
狭山池のおもな機能は、農業用の灌漑用水を供給する「水がめ」としての機能です。狭山池の水は、西除川や水路を通じて下流域の河内平野の村々へと流れ込み、最も遠くまで流れていた頃は大阪城の濠に達していたといわれています。また繰り返しおこなわれた改修工事によって灌漑範囲は広がり、最大時には水下50数ヵ村に及んでいました。現在の狭山池は、大雨などで起こる下流域の洪水をふせぐため、ダム機能を強化しています。ダム機能をになう北堤は「平成の大改修」にともなう発掘調査の結果、飛鳥時代の築造以降、各時代の改修の跡が残っていることが判明しました。「平成の大改修」の際に切り取った北堤の一部は、大阪府立狭山池博物館に展示しています。博物館には「平成の大改修」に伴う発掘調査の出土遺物も展示してあり、狭山池を中心とした歴史と、土木技術を紹介しています。
狭山池周辺は、自然石護岸や池を周遊する遊歩道などが設置され、水と緑の空間として親しまれています。北堤には大阪府立狭山池博物館や多目的広場、緑地空間などがあり、歴史と文化のシンボル空間となっています。周遊する遊歩道には、早咲きのコシノヒガンザクラを中心に、ウコン、カンザン、シザレザクラなどの桜の樹木を植栽しています。北堤西部は、龍王祠や樹木、水生生物が醸し出す自然的景観と洪水吐などの構造物の景観が調和した「ダム」としてのシンボル的空間となっています。
南堤は、干潟の再生により野鳥などの生息空間を創出し、バードウォッチングなどの自然観察の場となっています。
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明治時代にタイムスリップ!
明治31年に高野鉄道を河内長野まで延長した際に、この辺りの人々の通路や水路を通してほしいとの意見からこれらの暗渠が設置されました。
当時の技術を駆使して、アーチ型にレンガを積み強度を保っています。市内7ヶ所でご覧いただけます。なかでも東除川暗渠は、斜めにねじってアーチをかけた日本に25ヶ所しか残っていない珍しいものです。
昭和12年、電車の複線化により下り線側を拡張した為、各アーチ橋の東側はコンクリート構造になっています。
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1号暗渠(第40号拱渠) |
2号暗渠(第41号拱渠) |
3号暗渠(狭山里道暗渠) |
4号暗渠
(入れません) |
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5号暗渠(狭山里道架道橋) |
6号暗渠(第43号拱渠) |
東除川暗渠 |
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高野山や天野山、熊野神社へのいにしえの道
天野街道は天野山金剛寺への参詣道です。かつては熊野参詣にも利用され、西高野街道の旧経路とも考えられています。上今熊地区の地点に「右 あまの山
二里/左 かうや山 十里」と書かれた、西高野街道と天野街道の分岐点を示す道標があります。陶器山の尾根筋上を南下し、大野の穴地蔵を経て、天野川の段丘上を進み、金剛寺に至ります。天野街道は、平成7
年度に建設省(国土交通省)の「手づくり郷土賞」、平成9 年度には「大阪の道99 選」にも選定されています。
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大阪狭山市の木は「さくら」
市のシンボル狭山池や鉄道の土手、公園墓地周辺、学校、緑地、住宅地…たくさんの名所があり、街中が桜色に染まります。素敵な春の1日桜を愛でにでかけてみませんか?
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